随想 吉祥寺の森から : KFC牧師、帝京平成大 ルーク唐沢治との訴訟
ドクタールークこと唐沢治から民事提訴の脅しを受けたのは8月4日のことであったが、端緒はそれ以前、今年の2月上旬に唐沢がメールを送ってきたことが発端であった。それには彼が「ヴィオロン」と自称する女性から相談を受けており、彼女について記された文章を全て削除してほしいと要求するものであった。このエントリーには途中から唐沢治がかつて紛争を起こしたある男性信徒との間の事柄も書きこまれ、唐沢自身にとって都合が悪く不合理だという理由が一番の理由だったが、ヴィオロンという女性についても併記して削除を要求していた。
だが、元々この文章は、彼女がカルト被害者や私を強烈に非難する文章を掲載し、それについて私が事前に彼女へメールで問い合わせをし、これらは本当にあなた が書いたものか、そして、これらの非難の対象はカルト被害者や私であるのかと問いただしたところ、彼女がそれを認めたので反論として記したものであった。敢えて確認しなくともこれらが私たちを含む非難であることは明白であるが、念のため、確認したものであった。
彼女は振幅の幅が大きい心理状態を行き来しており、独裁カルト問題について厳しく批判したかと思えば、全く逆に独裁カルト問題を批判する人やカルト被害を訴える被害者を徹底的に非難する態度に転じたりと両極端の考えの間で揺れている。
彼女はこれまで
東洋からの風の便り
東洋からの風の便り
光の天使の罠
の3つを記しているが、その内容と「私ではなくキリスト」を比較すれば、彼女の振れ方がいかに大きいか、すぐにわかる。彼女は時折、不定期にブログを一時閉鎖したり、パスワードを使って閲覧をブロックさせたりすることが多いが、現在、彼女のもっとも初期のブログ、「光の天使の罠」はパスワードがかかっていて一般の人は読むことができない。
その後、唐沢治からの民事提訴通告の脅しがあったが、この裁判を用いた脅迫についてヴィオロンが唐沢に依頼したりしたことがあったのかどうか、どうもあなたは無関係ではないかと思われるのだがという内容のメールを出して確認したところ、私への返事がないままにいきなり彼女のブログで私への「返答」が文章として公開された。私も知人からこの文章が公開され� ��いることを知らされて気がついたほどで驚かされた。
以下がその文章。妄想で固められた怨念のような長文である。内容的には隅から隅まで同意できない上に、全くの支離滅裂でとんちんかん。何が何だかさっぱりわからない。「ひとこと」については私のことではなく、「ニュッサ」とか「雲」とか彼らが呼んでいるKFCの元信徒の男性(唐沢が神奈川県警に刑事告訴し紛争になっている)のことを指しているが、Sさん=私へのメッセージである「罪と罰 Sさんへの手紙」とトップページに併記してあれば、これも含めて読み手は私のことを書いていると読むことになる。「ニュッサ」=「雲」と唐沢との間の揉め事が私にも飛び火し、刑事と民事が非常にややこしく入り組んだ唐沢治事件について現在、正確に理解して� ��る人はほとんどいない。
いずれ唐沢からの訴状などというものが届けばの話であるが、それが確認され次第、唐沢の主張が動かない書面としてわかるので、少しずつこれも合わせて反論することがあるかもしれないが、やはり彼女は重症の精神疾患だと思われる。ただ、ここにおいて彼女が兄弟として唐沢治を信頼するとはっきり公言していることは特筆されることで、改めて独裁カルトの精神被害が深刻であることを良く示している事例になっている。
このように独裁カルトの傷と打撃は想像を遙かに超えて深刻である。何も統一教会やものみの塔、モルモン教会のような異端キリスト教だけを注意すれば良いわけではない。ハレルヤコミュニティーチャーチ浜松教会の榊山清志、沖縄リバイバル教会の儀間盛夫、国際福 音・アガペーチャペルの卞在昌、美浜教会の仲原正夫、ヨハンキリスト教会の金圭東、仙台ラブリ聖書教会の藤本光悦ら、「聖書主義に立つ正統的な」キリスト教の教会と自称してきた独裁カルトがいったいいくつあっただろうか。数え切れないではないか。
そのことに気付いてさえいないキリスト教徒が多い。残念ながら現在の世界は、全宗派、全教派問わず、キリスト教にとって不法の時代である。
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ひとこと
「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」(ローマ1:18)
聖書には、不義を持って真理を阻もうとする不信の者には、天から主の激しい御怒りが臨むことが記されています。
今、ある不信の者がクリスチャン全体に大きな害を与えています。彼は兄弟について偽証することで、大勢のクリスチャンを惑わせて欺きました。そして自分の仲間を次々と裏切り、友であったはずの人間を罠にかけて罪に陥れ、さらに、一年以上も前から、彼と一面識もない私に対しても、執拗に絡んでは嫌がらせを繰り返し、真理を証するクリスチャンの言葉に戦いを挑んでいます。
車のアンプのサブウーファーの配線方法
この者はにせ兄弟であり、その主たる目的は、クリスチャン全体をあざけり、ペテンにかけ、悪質な異端の教えを言い広めることです。彼は真理に逆らって汚し言を言い、偽りを流布し、兄弟姉妹の名誉を傷つけ、キリストの十字架と血潮を踏みにじって、霊と魂との切り分けを否定し、全ての人間の心に生まれながらに神が宿っているとする、異端グノーシスの教えを言い広めています。
しかし、彼は自らの恥知らずな行為によって、彼の良心がいかに汚れているか、彼の奉じている教えがいかに彼自身を救済しえないかを明らかに示しています。彼の唱える「幼心」や「愛」がただの空想であり、欺瞞に過ぎないことは、彼の老獪で自己本位� �厚顔無恥な生き様を見れば、誰の目にもはっきりします。
聖書はこの者の唱えているような悪質な異端をクリスチャンが識別し、遠ざけることは、神の御旨にかなっていることをはっきりと示しています。
「すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。」(�テサロニケ5:21-22)
「彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。」(�ペテロ2:1)
「異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。」(テトス3:10)
終わりの時代には偽りがはびこりますが、クリスチャンはキリストの十字架の勝利にとどまり、血潮と証の言葉により、真理を曲げようとする偽りに打ち勝たねばなりません。主イエスの栄光の御名によって祈ります! どうか主が、真理に逆らって異端の教えを奉じる者の末路を全世界の前ではっきりと見せて下さいますように! クリスチャンを陥れ、欺き、罠にかける人間を、あなたが幾重にも叱責し、この道から完全に退けて下さいますように! 悪しき霊を打ち、真理に逆らい汚し言を語るその口を封じて下さい!
主よ、どうか虐げられた者のために、あなたの裁きの正しいことを見せて下さい。不義を働く者に対するあなたの御怒りが正しいことを見せて下さい。国と力と栄とはあなたのものです! 不義を� �し、偽りを愛する者たちが恥をこうむり、御言葉が地の果てまで宣べ伝えられ、あなただけに栄光が帰されますように!
主よ、あなたのいつくしみにしたがって、わたしを生かしてください。あなたのみ言葉の全体は真理です。あなたの正しいおきてのすべてはとこしえに絶えることはありません。(詩篇119:159-160)
罪と罰――Sさんへの手紙
Category [兄弟姉妹]
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2010/10/02Sさんへ
メールでお尋ねいただいた件にお答えしたいと思います。
「人をさばくな。自分がさばかれないためである。」(マタイ7:1)、御言葉がこう述べているのは、人が人を正しく裁くということは、元々、不可能なことだからです。私たちは皆、不完全な存在であり、真実を見通す目を持っている人は誰一人としていません。
しかし、社会の秩序を守るためには、ある程度、人が人を裁く制度が必要です。そこに法が制定される必要性があります。法律はさまざまな場合を想定して、細かい条文や項目から成り立っておりますが、それでも、明文化して定められた法にも、欠陥がないわけではなく、いつの時代にも、時代の移り変わりや、個別の必要性に合わせて、改良が加えられる必要がなくなることはあ� ��ません。法学を学んだ方に、このようなことをあえて言うまでもないと思います。
ところが、キリスト教界における、いわゆる反カルト運動(カルト被害者救済活動)には、何一つとしてそれを取り締まるための法律や規約が存在しないのです。ですから、そこでは、無秩序状態が繰り広げられることが初めから懸念されていました。そこでは、ただ各々の牧師や、各々の被害者や、もしくは「自称」被害者や、「自称」被害者の支援者や、めいめい個人が、好き勝手な思惑に基づいて、自分勝手な正義の旗を掲げて、好きなように運動を繰り広げることができるのです。極端な話、誰でも自分から名乗りを上げさえすれば、今日から、「カルト被害者の支援者」を名乗れるのです。当然のこと、このような運動には虚偽の告発や、� ��傷も起こって来るでしょうし、偽りの被害者も登場し、さまざまなトラブルが持ち上がることが予想されますが、それを取り締まる規定がそもそも存在しないのです。ですから、このような野放図な運動の登場を一旦許してしまえば、それがやがて暴走し、甚大な混乱と損失をクリスチャンの社会に生むであろうことは、誰にでも予想可能でした。
そこで私は当初から、反カルト運動がどれほど危険であるかを訴え、この運動はカルト被害者を救済するどころか、むしろ、カルト化教会と同じかそれ以上に著しい損失をクリスチャンにもたらすであろうと主張して来ました。この運動は、掲げている目的を達成することはできず、むしろ、それとは逆に、被害者を踏みにじって暴走し、多くの無実の人々を断罪した上で、疑心暗鬼に� ��り自壊するだろうと述べました。
数奇なめぐりあわせにより、私はそのような自分の主張を、自分自身の身によって証明する羽目になったのです。これは神の憐れみによります。なぜなら、もしも私でない誰か他の人が、私と同じ仕打ちを受けたなら、その人は恐らく、苦しみに耐え得ず、心身の健康を完全に失ってしまっただろうと思うからです。
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さて、話を戻せば、反カルト運動について、私はこの運動が御言葉に基づかず、御霊の導きによらず、まことの裁き主なるイエス・キリストの義を退けてまで、人間の正義を高く掲げ、人間が神になり代わって、自ら裁き主となろうとする危険な運動であることを、繰り返し警告して参りました。私たち人間は、たとえどのような被害をこうむったとしても、それを私怨に基づいて晴らそうとすべきではなく、むしろ、自らへりくだって、神の正しい裁きに服し、神ご自身に自分の嘆き悲しみを訴えて、神に正しい裁きを求めて祈るべきなのです。そして、被害を世に訴える時には、きちんと法律に基づいて、常識の範囲内で、礼儀 正しく行わなければなりません。多くのカルト被害者はそのように礼儀にのっとって訴えても、キリスト教界から訴えを取り上げてもらえないという苦悩を味わいましたが、しかし、そこに私たちの信仰が働く余地があります。全能の神は、私たちの全てを見ておられます。たとえ私たちがみなし子であり、やもめであり、寄る辺ない存在であったとしても、神ご自身が自ら私たちの保護者になって下さると御言葉は約束してくれているのです(詩篇68:5)。
それなのに、恵み深い御言葉を否定し、まことの保護者であり、裁き主である神を退けてまで、私たちが神よりも自分自身を高く掲げ、神よりも先走って、自分の正義をふりかざし、自分が裁き主になって、大勢の罪人を独断で裁いたり、罰を下したりして良いものでしょう� �? そんなことがクリスチャンに許されるでしょうか? そのようなことをすれば、自分の高慢さによって、必ずや、私たち自身が神の怒りを買い、裁きを受けずにいられるでしょうか?
Sさん、あなたはカルト被害者の権利を守るために、今まで活動をして来られたと主張しておられますが、本当の被害者の大半は、随分前から、あなたの主張の中に、あまりにも行き過ぎた怒りや、憎しみを見出して、あなた方の運動から離れて行ったものと思います。今となっては、一体、どれくらいのカルト被害者が、あなたを支持しているのでしょう。失礼ながら、大半のカルト被害者の支持をあなたはとうに失っておられるようにお見受けします。
さらに、あなたは元被害者であった私を、どんな犯罪を犯したカルト化教会の牧� ��よりも、さらにひどく糾弾し、誰よりも厳しくつるし上げ、断罪し、見世物にしてしまった時点で、致命的な誤りを犯してしまったのです。私は教会を開いたこともなく、牧師という職業に就いたこともなく、公の場でメッセージを一回も述べたことのない、法律に触れるようなことはしていない、ただの民間人の、無名の一クリスチャンに過ぎません。しかも、キリスト教界を去って後、そこで受けた打撃から、主の憐れみによって立ち直り、ようやく被害者の身分を脱し、自分の人生を健やかに、元気に歩み始めたばかりでした。その私に対して、あなたはまるで猛獣か何かのように襲いかかり、狼藉の限りを尽くして、私に病人のレッテルを貼ったのです。
「木を切れば木っ端が飛ぶ」ということわざがありますが、あなた� ��カルト化教会の牧師たちを非難しているうちに、勢い余って、無実の人間を標的に据えて、暴虐の限りを尽くしてしまったのです。このようにして、あなたは非難すべき相手を間違えたために、自ら守るはずであったカルト被害者を、自分で「冒涜」したのです。Sさん、あなたはまるで私がカルト被害者を冒涜したかのように主張しておられますが、事実は全くその逆であることは、誰の目にも明白なのではありませんか。あなたこそが、自らの行為によって、カルト被害者を誰よりもひどく冒涜したのです。あなたは元被害者の人権を踏みにじり、元被害者の名誉を傷つけ、元被害者の立ち直りの努力を否定し、キリスト教界さえも加えたことがないほどの深刻な打撃をその人に加えることにより、全世界の前で、カルト被害者の存� �をさらしものにし、辱めたのです。
私は主の憐れみにより心癒され、キリスト教界の被害者であることから、ようやく自由にされたばかりだったというのに、今度は、Sさん、あなたが私に打撃を加え、私は今度はあなたの被害者とされたのです。カルト被害者を救うと言っているあなたが、考えうる限りの残酷な仕打ちによって、被害者の立ち直りを徹底的に阻止したのです。このような愚かな話があるでしょうか。繰り返しますが、通常の人であれば、あなたがなさったような仕打ちを受ければ、恐らくは生涯に渡る心の傷を負うでしょう。元被害者であるならばなおさらのことです。しかし、私が今も健康であり続けられるのは、ひとえに主の憐れみのゆえであり、兄弟姉妹の心からの励ましと支援があるからです。
� ��さん、このような残酷な行為を、ようやく立ち直りつつあった元被害者に行いながら、あなたは今でもカルト被害者の支援者を名乗る資格がご自分にあると思っておられるのでしょうか? このような形で「被害者への冒涜行為」を行えば、真のカルト被害者からの信頼を、あなたは完全に失ってしまうことがお分かりにならないのでしょうか? それだけではありません。あなたはご自分に敵対する者を退けようと思うあまり、我を忘れて行き過ぎた行動に走り、クリスチャンにあるまじきこととして、十字架を否定し、キリストの御霊を否定し、兄弟姉妹の証を否定し、無実の者を訴えることにより、それまでのご自分の仕事の価値をも、すっかり台無しにしてしまわれたのです。
誰が犬夜叉を作った
さらに、Sさん、あなたはそのようにしてクリスチャンにあるまじき行動に及ばれただけでなく、社会的にも無責任な行為に及ばれたのです。なぜなら、あなたが私について書かれた記事には、多くの虚偽が含まれているからです。事実に反する事柄を積極的に言い広めた責任が今後あなたに問われるでしょう。
ほんの一例を挙げるなら、「東洋からの風の便り�」の中で、私がウォッチマン・ニーの著書を紹介したことについて、あなたはそれがあたかもDr.Lukeの指導や影響下で行われたかのようにお書きになっておられますが、これは全くの嘘です。
なぜならば、私がその当初(昨年10月から昨年末のブログ閉鎖の時点に至るまで、要するに私がニー� �著書の引用をブログで行っていた期間に)参加していたのは、県外で開かれていた、たった5人程度が出席しているだけの小さなクリスチャンの交わりだけだったからです。その間、私はDr.Lukeに一度も会っていませんし、KFCに足を運んだことも一度もありません。ブログ上での彼とのやり取りも、たった数回あったきりで、Dr.Lukeに個人的にコンタクトを取ったことは一度もありませんでした。ですから、私が当時、Dr.Lukeの指導や影響を受けながら、ブログに記事を発表していたという話は、Sさんの想像に基づいた作り話です。ニーの著書を私に紹介してくれたのも、もちろん、Dr.Lukeではありません。
にも関わらず、事実関係をきちんと確かめることをせずに、あなたはただ推測に基づいて、私が当時、Dr.Lukeの指導の下で信� �生活を送り、記事を発表していたかのように思い込み、その虚偽を公に発表してしまわれたのです。そして、記事内容についてただ私を激しく非難したばかりか、その当時、私とは無関係であったDr.Lukeにまで非難の矛先を向け、何の責任もなかった彼に対してまで、厳しい断罪を行ったのです。
確かに、福音書房から出版されているウォッチマン・ニーの著書には、ローカル・チャーチの影響が及んでいることは否定できません。後日、私が自分の目で確かめたところによれば、巻によっては、ニーが言わなかったはずの事実が後から付け加えられています(この問題については別途、紙面を割いて詳述する予定です。)ですから、福音書房の書物を読む際には、読者は、真理でないものが文脈の中に混入していないかどうか、細� ��の注意を払って文章を読む必要があります。そうでなければ、欺かれてしまう危険性があります。しかし、その点について、当時、ブログで予め十分な断り書きや警告をしておかなかったのは、当時の私の認識の甘さのためであり、私自身は真理であると確信できる部分を引用したとはいえ、それでも説明不十分として責められるならば、その忠告はへりくだって受け入れたいと思います。しかし、そのことで責められるべきは私であって、Dr.Lukeではありません。 (注:このように、福音書房の書物については吟味の必要性があることを認めますが、私はウォッチマン・ニーその人の証の真実性に疑いをさしはさむつもりはありません。)
しかし、Sさん、あなたが記事で私へ向けられた非難は、そのような穏やかな忠告の域をはるかに超えており、我を忘れるほどにまで激しい憎しみと敵意を私に向けておられることがひしひしと感じられました。記事やメールの中で、あなたは私があたかもカルト団体に入信している、マインドコントロールされている信者であるかのようにお書きになっておられました(当時私が通っていたたった5人程度の交わりが、カルト団体に相当するのでしょうか?)。さらに、ウォッチマン・ニーもアンドリュー・マーレーもひっくるめて、あなたはカルト思想と� �めつけてしまわれ、十字架を否定し、キリストの御霊を否定し、先人たちの証の言葉をも退けてしまわれました。果ては私がその頃、全く関係していなかったKFCまで、カルトとして一緒くたに断罪なさり、こうしてあなた方の非難は、空想によってとめどなく膨れ上がっていき、事実無根の想像に基づいて、数え切れない人々の名誉を貶めるものとなったのです。
こうしてあなたのブログ記事は、まるで虚偽の温床のようになってしまいました。
その上、そこには、KFCの元信徒が「自称Dr.Lukeの被害者」を名乗って登場し、Dr.Lukeが彼に対して「呪いの預言」を行ったなど、Dr.Lukeへの様々な中傷を書き連ねました。この元信徒は未だにDr.Lukeの話し合いの呼びかけにも応答せず、自分の発言に対する社会的な責任を微塵 も負う姿勢を見せないままに、ただ自分のブログ記事を一方的に発表し続けています。しかし、Dr.Lukeの主張ははっきりしており、彼の発言は虚偽であるというものです。この元信徒は幾度かネット上で自殺をほのめかし、読者を騒がせましたが、いずれも狂言で終わっているという経緯もあります。このような人の発言が社会的に信頼に足るかどうかは、多くの良識ある人々の目にはすでに明らかであると思います。
仮に、この元信徒の訴えが虚偽であるとすれば、彼は個人の名誉を著しく傷つけただけでなく、公然と偽りを社会に流布することにより、多くのクリスチャンを惑わせ、欺くという罪をも犯したことになります。さらに、彼は自分のブログの中で訴えを行うのではなく、わざわざSさんのブログにコメントを書き込� �ことにより、自分の非常識な発言の責任を、他人であるSさんにまで負わせたのです。この元信徒のかくも無責任な発言のために、Sさん、あなたはまるで彼と連帯責任を負わされるかのようにして、民事で責任を問われるかも知れない事態となっているのです。それでも彼を信頼に値する人物とお考えになられるでしょうか。
この元信徒は未だに被害者というレッテルを隠れ蓑にして、自分は陰に引っ込み、自分の発言の責任を他人に負わせたままで、自分は世間の同情を一方的に買うだけの姿勢に徹しています。その上、あろうことか、彼は自分のブログに、最近になっても、他人のプライバシーに著しく触れる内容を新たに書き連ねては、その人の名誉を傷つけています。このようにして、自分の発言の後始末もせず、大勢の読者を惑わせて振り回し、さらに周囲の人々に、本来、負わなくても良いはずの責任を転嫁し、大勢の人々の名誉を貶めている人物が、果たして、本当に「被害者」を名乗るにふさわしいのでしょうか。そのような発言が本当に社会で信頼されるでしょうか。
私たちは「被害者」 と聞けば、まるでパブロフの犬のように、誰彼構わず同情の涙を流すほどの愚か者になってはならないと私は思います。
とにかく、真の被害者と、「自称」被害者の二つを明確に区別する必要性は、前々から唱えられてきたのです。しかし、初めから何の法律も規定もなしに始まった反カルト運動には、被害者の発言の真偽のほどを見分ける方法があろうはずもなく、ただそれぞれの旗手の掲げる自己流の正義だけに基づいて、運動は暴走して行きました。その結果、真実と虚偽が混じり合い、流言飛語が飛び交い、次第に、訴えの内容が事実から逸脱して、空想に基づく非現実的な作り話へと膨れ上がっていったのです。それは当初から懸念されていた事態でした。
今年に入って、私はこの事件のことで、KFCへ赴き、Dr .Lukeに相談を持ちかけました。この事件について、随分経った今、やっとここに私の意見を書いているのは、私の中で整理がついたからです。このような事件に巻き込まれた人が、その事件について客観的に振り返ることが可能となるまで、どれほどの時間がかかるか、それは当事者にしか分からないでしょう。Dr.Lukeの今回の提訴の予告は、私の声にならない声を、彼が汲み取って下さった結果であると思っています。私は彼を主にある兄弟として信頼しています。
Sさん、「復讐するは我にあり」(申命記32:35)と言われる方が私たちの神です。私たちはたとえ誰からどんなにひどい仕打ちを受けたとしても、どんなに義憤を感じることがあっても、自分で他人に復讐してしまってはならないのです。自分が裁き主となって、自分� ��力で正義を打ちたてようとしてはいけないのです。真理を真理とし、偽りを偽りとして明るみに出す作業は大切ですが、それは憐みを持って、虚偽ではなく事実に基づいて、常識にのっとって、礼儀正しく行わなければなりません。虚偽を言い広め、私怨に基づいて人を断罪するのでは、どうして世間の信頼を得ることができるでしょうか。しかも、神の義を退けてまで、己の正義を掲げ、神より先走って私刑を実行する人は、必ず、神の領分を侵してしまったことで、神の御怒りを我が身に招き、自分が裁きを受けることになるでしょう。
Sさん、キリスト教界に対するあなたの義憤が、私に理解できないわけではありません。しかし、あなたは神に正義と真実を求めて、神に自分の嘆きを訴え、神の裁きを求めるのではなくて� ��自分の判断を信用して、自分で裁きを行ってしまいました。それゆえに、あなたは自らの知恵に欺かれたのです。神の愚かさは人間の知恵よりも賢い(�コリント1:25)、と御言葉にあります。私たちはどんなに自分が正しいと感じる時でさえ、ただ一人の罪人としての立場を超えることなく、十字架の御前に頭を垂れることを忘れてはならないと思います。カルト被害者を冒涜することが罪なのではありません。神を冒涜することが罪なのです。私たちは主の御前で自分の分をわきまえるべきだと思います。
あなたは法学を学ばれた方なのですから、ご自分の専門を尊ばれ、法に服されるのが一番よろしいかと思います。ご存知のように、社会正義のために私刑を実行したラスコーリニコフは、自ら法の裁きを受けて、流刑に� ��きました。あなたもへりくだって、神の御前に一人の罪人として頭を垂れ、神の御手にご自分の訴えを委ね、主の裁きを信頼して待つべきではないでしょうか? あなたは多くの人々の罪を公に責められましたが、ご自分が犯した罪に対しても、公平に目を向け、神と人との前で、正直に告白なさるべきではないでしょうか? そうでなければ、無実にも関わらず、あなたによって苦しめられた人たちの叫びが、アベルの血のように、いつまでもあなたの罪を訴えて、天に向かって叫ぶかも知れません。
Sさん、どうかあなたの心に主が直接、働いて下さるようにと願います。あなたが真理へと導かれ、真の悔い改めにより、キリストの贖いの血潮を受けられますように。キリストの十字架を通して、真に心の解放を受けられます� ��うに。あなたの心に主の平安がありますように、あなたと兄弟姉妹として語り合う日が来るように祈ります。
主にあって真心から ヴィオロン
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